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サブカルチャー評論/レビュー/日常

2010年フランス映画『サラの鍵』は美少女と歴史的抑圧によって「未来を描いた」傑作である

サラの鍵

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 1942年、サラ、10歳の女の子。2009年、ジュリア、母でありジャーナリスト。物語は時間軸の違う二人を中心に描かれる。

 1942年7月16日、幕は静かに上がり、ドアを叩く喧騒に劇場が包まれる。ユダヤ人一斉検挙がフランスのパリで行われた。まずこの歴史的事実に驚くだろう。この事件がナチスドイツ主導ではなくフランス政府主導であることには触れておきたいが、しかしこれは歴史映画ではない。 一人の少女の過去と、一人の女性の現在を繋ぐ、未来への物語だ。

 2009年、ジュリアはジャーナリストとして1942年パリのユダヤ人一斉検挙を追う。その最中、あろうことか自分の新居が取材線上へ浮上する。そしてその家が「1942年8月」に夫の家族が手に入れたものであることを知る。「1942年8月」、それは「1942年7月16日」ユダヤ人一斉検挙の1カ月後。

 1942年7月16日、ユダヤ人一斉検挙がフランスのパリで行われた。サラの家族が連行される中、サラは弟を「秘密の納戸」へと隠す。そして鍵を閉め約束をした。「必ず迎えに来る」と。サラの鍵を持って、必ず…

 物語の舞台は整った。ジュリアはジャーナリストとして事件を追ううちに、サラという少女の存在を知る。この二人の「出会い」が何をもたらし、何が失われるのか。そしてどのような未来を与えるのか。この映画の本筋が、幾度も僕の心を震わせた。この映画は「未来を描いた」傑作である。そう確信した。